剣岳

          幻のダイレクトルンゼ

text by charlie

いつ頃だったかは定かではないが、剣岳のダイレクトルンゼをWEB上で見て興奮したのを覚えている。少なくともこの1年以内のことだ。それからネットで検索を繰り返し、ガイドブックを読み、タイミングよくWOWOWで「剣岳 点の記」を見た。この春にピークハント&ダイレクトルンゼ滑降を決行しようと考えたのは、昨年の秋だっただろうか。北海道の友人達に北アルプスの情報を聞いていたことを思い出せば、すでに冬前には現実味を帯びていたことになる。運よく平蔵谷を滑るというガイドツアーを見つけてエントリーしていたのだが、震災の影響で剣沢小屋がゴールデンウィークに営業しないことなどを受けてツアーはなくなった。そこで、冬用のテントを買い足し、ソロ決行の運びとなってしまったのである。実は4月始め頃ツアー会社から、他の希望者がいるので剣御前小屋を使って参加してくれるならツアー催行しますよと連絡があったのだが、その頃には、すでに心はソロ決行に決まっていたので丁寧にお断りした。かくなる経緯より、孤独で危険に満ちた剣岳アタックが敢行されることになったのだ。


この威容を誇る山を見よ

5月5日 5時40分起床。フル装備のザックを担ぎ、板を持って電鉄富山へ。6時28分発普通電車立山行きに乗る。電車はガラガラで雪の大谷ウォークを楽しむであろうカップルが嬉しそうにお弁当を食べている。田園風景の中を少しずつ標高を上げていき、約1時間弱で標高500mほどの立山に着く。WEB予約してあったケーブルカーのチケット引き換えに向かうと結構人が並んでいる。


天気は良さそうだ

震災の影響で、いつもは大挙しているらしい外人を含む観光客が激減しているようである。身分証明書をみせてチケットをゲットし、8時発のケーブルカーに乗り込む。7時50分発にはスキーヤーがいたが、8時の便に滑り系の人はcharlieだけだった。残りの人は大半が観光客で、大きすぎる荷物でも無理なく乗れるほどの混み具合だった。7分で標高を500m上げ美女平に着く。8時半発のバスまで少し時間があったので、売店でビールを一本買ってザックにしのばせる。1本くらいは持っていってもよかろう。成功したときの乾杯用だ。板と荷物をそれぞれ300円ずつで預け身軽にバスに乗り込む。後方に並んだせいか、2台目のバスになり運よく最前列左側の席に座れた。上りながら見る称名滝の水量はかなり迫力があり、沢やの目線から見てなるほど難しいといわれる川だなと感じた。標高があがるにつれ道路の雪壁が高くなってくるので、視界が利かなくなる。観光客的には気分が盛り上がってくるところだ。そして室堂直前の国見岳直下あたりで17mの高さの部分があり、ここが最高点だと看板が出ていて、観光客が盛んにシャッターを切っている。この辺が一番の吹き溜まりなんだろうな・・・考えてみれば全部17mなんてありえないもんね。

9時半頃室堂到着。ここもcharlie的には混んでるように感じたが、例年に比べればかなり少ないのだろう。いつもの年の混み具合を想像すると気分が悪くなりそうだった。朝食を立ち食いそばでいただく。白えびかき揚げそばがうまかった。帰りになって気づいたのだが、高所でしっかり茹で上がっているって凄いことなんだよな。
9時40分に室堂出発。超快晴の下、板を片手にみくりが池方面へ歩を進める。観光客やスキーヤー、ボーダーそれぞれが行き来している。地図で確認はしていたが、細かいアップダウンがあり踏み固められた道なので、板を持ってアイゼン履かずに歩くので正解のようだった。しかし、みくりが池温泉あたりまで歩くだけで、脚への不安が出てきていた。思った以上にザックが重い。足場が不安定だと特に右足への負担がかなりかかるのだ。雷鳥荘からのロープトウ脇はスキーヤーによってモーグル斜面が出来上がっていた。板を履いて、そこを巻くように滑ったのだが、このザックの重さとこのザラメぼこぼこ斜面は難しい!しかもフロントターンの右アキレス腱への負担は限界を超えている。なんとかヒールサイドでずれながら降りきった。


雷鳥沢のテン場を見下ろす
対面は室道乗越から別山方面
今からあれに取り付いて登るのだ

なるほど雷鳥沢キャンプ場はテントも多くカラフルで賑やかだ。沢のスキーヤーズライト側を人がどんどん登っている。地形図から見ると室堂乗越に向かう道のように見えるのだが・・・しかしその行く手には小屋が見えるので、位置的にあれが剣御前小屋に違いない。晴天だからわかるがガスってたらこの時点でかなり迷うのかもしれない。一度でも行ったことがあるのなら自信も備わるのだが、なにせすべてが初めてだから持てる知識をフル稼働して考えて行動するしかない。

キャンプ場を過ぎ少し沢へ下って、アイゼンを装着。このアイゼンはスノーボードを始めて一番最初に買ったアイゼンである。STUBAIの紐で留めるタイプのアイゼンだが、これを買ったすぐ後にクリッカー対応が発売されたので、事実上フィールドでこれを使用するのが初めてとなる。買ってから10年くらい経ってますけど・・・。

板をザックに固定し、ストックを出してゆっくりと登りだす。10時過ぎの雪はすっかり緩みザクザクである。登り始めて10mほどで自分の計画の無謀さに気がつき始めた。右足首に加えて、左股関節も痛む。確かにボードで新雪に埋まった時に無理に引っ張ると痛むところだけど日常生活では気がつかないんだよね。しかも日差しが強く目は痛いし、すでに汗だくである。何もかぶらずにサングラスだけつけて登ることにした。Tシャツで登っていく人もいる。肌強のcharlieならこのくらいの日差しは問題ないだろう。

登り始めてすぐにすれ違う登山者がシャッターを切っている。なんだろうと思って見てみると、すぐそばのハイマツのところにライチョウがひょこひょこ歩いている。こんな至近距離でも逃げないもんなんだ。写真を撮りたかったが、ザックを下ろすことはかなり労力を要するので諦めた。このあたりからして体力的にも計画の無理さが感じられるところかもしれない。

重さに耐えつつゆっくりと登っていく。剣御前小屋がはるか遠くに感じられた。楽しそうに軽装ですべるスキーヤーやボーダーを横目にジリジリと高度を上げる。何人かの登山者に抜かれたが、charlieはあんなに速く登れない。右足首の痛みと戦いつつ、足の向きを工夫して登り続ける。やっとの思いで稜線上に出ると立山連峰から室堂平まで一望できた。そして稜線の反対側は、かなりの角度で切れ落ちていた。どきどきする高度感だ。遠くには富山平野も望める。山は凄い!

標高差約500mを登りきった。剣御前小屋の人だと思われる人物が、雪に赤ペンキで字を書いている。その下が空洞で危険だということらしい。この時に、山の情報を聞いておけばよかったのだが、すでに気が焦っていて忘れてしまった。ほんの数十m剣沢側に寄るだけで携帯は圏外となる。そこからは初めて見る剣岳が堂々と存在していた。下界と最後の連絡を取り、板を履いて広大な剣沢へ滑っていく。すでに脚はヘロヘロで、なるべくターンを切らないように右寄りに下っていく。程無く眼下に剣沢キャンプ場を見つけた。ゴールデンウィークでにぎわっているはずだという予想を裏切り、テントは数張りしかない。ゆるい斜面を滑り降り、テン場に到着。だいたい2時頃だったと思う。だいたい室堂から4時間弱と考えておけばいいかな。

テン場に着けば、まずはサイト選び。ゴールデンウィーク前半は割りと賑わっていたのか、中古のテントサイトがたくさんあり選び放題だ。全部のサイトが沢上部側を中心にブロック積みしてある。そのなかから一番上部にあるサイトを拝借することとして、早速設営にかかる。事前に仮設置したことがあるとはいえフィールドで使うのは初めてのテントである。しかも、ホームセンターで買った竹串を加工して作った竹ペグで固定するのも初体験である。最初に30cmほど掘っておいて竹ペグを十字に組んで細引きを通して軽く埋める。そこでテンションを自在金具で調整してから完全に埋めるという作業だが、我ながら上手くできた。


後方は剣沢上部

テントが完成したら、次は水作りだ。極地用のガスカートリッジで安定した火力。綺麗そうな雪をレジ袋に取りためて、呼び水を入れたコッヘルにどんどん追加していく。テント入り口にに座って水を作りながら正面を見上げると、そこには圧倒的な存在感を持って威圧するように剣岳がそびえていた。雪と岩の殿堂とはよく言ったものだ。改めて狙っているダイレクトルンゼをチェックすると、あんなところを滑れるわけがないという恐ろしい思いに囚われてきた。山頂直下からほとんど垂直なんじゃないかと思えるような斜面である。時間をかけて見えるラインすべてを入念に眺める。ノドと呼ばれる難所の下に亀裂が見えるがラインの取り方でどうにかなりそうだ。それより山中に線が入っているように見えていたものが、表層雪崩の破断面だと気づいた。数日前に降ったらしい新雪があちこちで落ちたようだった。


ピンク色のラインがが今回狙っているライン
ダイレクトルンゼ、またの名を大脱走ルンゼという

ネットやガイドブックなどで詰め込んだ知識と見える尾根や沢を照らし合わせていく。概ね予想してきた通りの行程が頭の中では出来上がった。平蔵のコルからの取り付きは剣沢からはよくわからない感じだ。昔、日本最後の未踏の剣岳頂上に三等三角点設置を任務とされた陸地測量部の柴崎芳太郎が取り付きを探していたときの気持ちがわかるような気がした。

しかし、こんな山に一人で登れるのだろうか・・・。人気の少ない剣沢で、まばゆいばかりの春の陽気とは裏腹に、恐れの気持ちに支配されつつあった。誰だ!こんな計画を立てたのは?

ライチョウの泣き声だけが沢に響き、孤独感だけが大きくなっていく。テントを撤収して1パーティが帰っていく。テン場には少なくとも滑り系の人はいない様子。
プラティパス以外に500mlのペットボトル2本を持ってきて丁度よかった。これで3リットルも水は確保できたわけだ。意外にもガスはかなり消費していた。慎重に使わないと。

することもないので、持ってきた新田次郎の「剣岳」を読み始めたが、そこで失敗に気がついた。映画でも見ていたが、立山信仰について記載が多いので、剣岳は死の山だとか、人が登っては行けない山だとか、登ったら死ぬだとかばかり描いてあるので、よりいっそう恐怖感が増すのだ。さっさと読むのを止め、紅茶を沸かし持ってきたユーコンジャックを垂らして啜る。少しだけ落ち着く感じがした。まだ明るかったが、パスタを茹でた。やや芯が残ったたらこスパゲティーが今夜の夕食である。明日のことを考えカーボローディングよろしく棒ラーメンも追加して作ったが、これはサイテーにまずかった。生っぽくてまずいラーメンだから二度と買わないと悪態をついてみた。


夕日に赤く染まる剣岳を見ながら、無意識に登らないですむ理由を考えていた。天候が荒れるとか、危ないという情報が入るとか、体調が悪いとか・・・でもどれもなさそうなので、とりあえず行けるとこまで行こうと考えてシュラフにもぐりこんだ。眠れないかと思ったが8時前には眠ってしまっていた。目が覚めるとまだ11時過ぎだったので外をのぞいてみると、信じられないくらいの満天の星空の下に剣岳はそびえ立っていた。夜半に少し風が出たようだった。時折、ライチョウの泣き声が剣沢に響く以外はなんの物音もしなかった。


5月6日 妙な夢を何度か見つつ、間歇的ではあったがそれなりに睡眠は取れた。4時20分にはテント内の明るさで目が覚めたが、早く行動しすぎて、雪が硬い時間に登りきってしまわないようにと二度寝する。しかし、4時40分には目覚める。ペットボトルの水が凍りかけている。外を見ると、無風快晴。天空にそそり立つ剣岳が眼前にある。ここで撤退する理由があるだろうか?マイナス要因の現地情報でも入手してれば、目的地変更もありえたが、絵に描いたような絶好の登山日和。もうやるしかない!!のである。紅茶を飲み、食欲はないが無理やりラーメンをすする。またしても煮えてないラーメンで、この時、初めてラーメンのせいでまずいのではなく高所のせいでまずく出来上がることに気がついた。沸点が低いことがそもそもの問題だとやっと気づいたのである。実践して体で覚えないと知識だけでは上手くいかないものだ。
気持ちがはやるせいか用意は速かった。少しでも重量は軽くしたいので、ゾンデは持って行かなかった。ショベルもいらないかと思ったが、万が一アクシデントでビバークする可能性を考えてツェルトとともに携帯。ビーコンはレイヤー変更毎に脱着するのは面倒なので、オンにしてザック入れておく。死体捜索にしか役立たないとは思ったが・・・。
朝一の硬い剣沢をガリガリと降りて行く。途中で3人組の登山者を見かけ挨拶したが返答はなかった。ボーダーが嫌いなのかな・・・。
目印の源次郎尾根を見ながら降りて行くと、谷からものすごい量のデブリが剣沢へ流れ出している。そこが今日の取り付きである平蔵谷の出会いだった。デブリの手前でアイゼン装着し取り付いたのがちょうど6時頃だった。


平蔵谷出会いのデブリ
高いところでは7〜8mくらいあるかも

デブリは登り辛く隠れた穴もあるので、左側の急斜面に取り付く。例によって急所の右足首への負担が大きい。ほとんどアイゼンの山側だけを引っ掛けて登って行く。左手にピッケル右手にストック、頭は当然落石落雪対策で登山用ヘルメットである。朝一の斜面は冷えていたせいもありカチカチでアイゼンはよく効くが、逆に右足首には辛い。ワンミスで滑落しそうな急斜面だが高度感はなく恐怖は感じない。先ほどの3人組が剣沢を降りていくのが見えた。やはり今日この平蔵谷を登るのはcharlieだけのようだ。すべては自分の知識と技術で危険を避けていくしかない。時々、左上から落ちてくる雪の塊が気になるが、危なそうなところはスピーディーに抜けていく。

平蔵谷の出会いからは平蔵のコルまでストレートに見渡せる。滑ることに特化して斜面だけ見ればイージーな急斜面だが、ピークに?がるダイレクトルンゼはもう一枚上手だ。でも下から見れば、昨日剣沢から見たとき感じた不可能感はなくなり、イケる感じが出てきた。それにしても誰もいない。ゴールデンウィークの剣岳ってこんな感じなのか・・・。ダイレクトルンゼをひたすらチェックしながら滑るイメージを膨らませて登る。左上にはまだまだ雪庇がたくさんあるので、スピーディーに通過しながらルート取りする。荷物も軽いし、概ね時間当たり300mで登れているようだ。ダイレクトルンゼの核心と言われるノドの通過後の割れもこなせそうだった。雪が多いせいなのか気温が高いせいなのか、急斜面にはたくさんの断裂が出来ていた。ダイレクトルンゼを丁度真下から見上げているとき、3人の登山者が稜線上に見えた。おそらくは源次郎尾根でテン泊していたのだろう。すでに汗だくで登ってきていて、持ってきた水もすぐに減ってきて、明らかに水の準備不足であった。

2700mくらいで大きな破断面を確認した。数日前に降った新雪の表層雪崩であろう。そのデブリが谷中を総なめにしていったのだろう。破断面は60cm〜80cmくらいだろうか落差は700mはあるはずだ。青空にくっきりと見える平蔵のコルへ向かってひたすら登る。陽もカンカン射し雪はどんどん緩んでくる。ふと上部から人の声がする。「ここがカニのヨコバイの核心です」と聞こえてくる。見れば岩峰の間を人が連なって降りてくる。東側からもカニのヨコバイが見えるのだと初めて知った。ガイドブックのイメージでは西側かと思っていた。しかし、それがわかっただけでもcharlieにはありがたかった。この旅で初めての情報源である。最後をガシガシと詰め、平蔵のコルに到着。

すれ違う先ほどのパーティーのガイドがお客さんに「ボーダーですね」と説明されていた。鎖場の状況を聞くと問題ないとのこと。ヨコバイからいけるか聞くと上に「2人いたからどうかな、我々は帰りだからタテバイじゃなくてヨコバイから来たんです」と客に説明していた。稜線上の上で見たと思われたパーティにはどこを滑るか聞かれたので、ダイレクトルンゼを狙っていると答えると「ほとんど落ちる感じですね。下で見てますよ」と言われた。

仕方ないのでタテバイに取り付くことにする。ハーネスを履き、ヌンチャクで確保して行く。ブラックダイアモンドの18cmのクイックドローで確保したが、もう少し長さがあってもいいかもしれない。アイゼンは履いたまま両手はフリーで登って行く。ヌンチャクの架け替えは少し手間取るがなんとか登れる。そして最後に鎖は雪の中に埋もれて消えて行った。ここで鎖場は終わり?ってここかなりやばいんですけど・・・。アイゼンピッケルなしじゃかなり死ねますが状態。ヌンチャクで確保したままザックを下ろしピッケルを取り出して、勇気を出して確保をはずす。後は、ミックスクライミング状態である。マジでやばいですよ。この時期当たり前なのかな・・・?

その後も滑落したら死ねます状態の斜面を慎重に登る。ガイドブックにはゆるい斜面を登ればもう頂上って書いてあったけど、あれは夏の話だな・・・。そんなこんなでひやひやしつつも9時40分頃ピーク到達。誰もいない。剣岳ピーク独り占めだ。


後方に剣沢

360度パノラマの景色を楽しむ余裕もあまりなく斜面チェック。雪はすでに緩みすぎている気がした。雪崩や雪庇崩落、滑落リスクを自力でなんとかして登頂したことは素直に嬉しかった。ピークは携帯が?がるため、報告を兼ねこれから滑ることを伝えておく。ピークの奥の少し下がったところに平たいところを発見しそこで板を履いて準備完了。天気はサイコーだし、あとは気分をのせてつっこめばいいだけだった。

かなりの急斜面だったが、気持ちでエントリー、ワンターン、・・・ん?・・・・なんか変・・・。ここはどこ?

すでにエントリーしたところから30m以上は落ちているが、下には二つのシュートしかない。おかしい。間違えたのか?隣の面かもと思って左にトラバースを試みるが雪がゆるくて高度が落ちてしまう。理屈から考えて左のはずがない。とすると右のリッジの向こうが狙っていた面だ。確認したつもりだったのに・・・源次郎尾根の位置も見てたのに・・・。実際にはピークあたりは雪庇があって直接は覗き込めないのだ。

あとは登り返すしかない。今考えれば自殺行為だが、とにかくその50度超の急斜面で板を脱いで登り返しを試みたのである。板を深く斜面に叩き込んで、一歩を踏み出したが、その瞬間その行為が不可能だと感じた。雪が緩みすぎていて登るどころではないのだ。アイゼンを履いたりすることはもちろん不可能だった。その状態でいることのほうが死に近かった。板で雪をはねのけ押しつぶしわずかなスペースで何とか板を履きなおすことに成功。

下をもう一度見直すとシュートが二つ。charlieは丁度真ん中の岩の上のリッジ上にいることになる。左側は雪がなく垂直に近い。まず助からない感じだ。右は今いる位置から全貌は見えないが、シュートの隙間から斜め下はるか下方の雪面が見える。

この事態、もうここしか抜けるところはない。絶体絶命の事態に選んだ答えは運頼み。

フロントサイドで右に落ちながらバックサイドでターンすると、一条の白いラインが見えた。幅は2mほどか。

自分の起こしたスラフに揉まれつつも、その細いシュートを何箇所か岩に接触しつつも切り抜けた。割と長く感じたが、実際の長さはどれくらいかわからない。

シュートを何とか抜けた後も、ここがどこか正確にわかってない。その後は再び垂直な岩峰という可能性もあるのだ。視線はフォールラインを追って行く。この際、滑りなんかどうでもいいから、生還ラインがあることだけを願った。

ひとしきり、フォールラインに雪があること確認して、周りを見ると左には八ツ峰、右に源次郎の2峰が見えるではないか。なんと長次郎谷に降りてしまったのだ。正直この時点で助かったと思った。今回、charlieが滑ったこのラインは今まで誰か滑っただろうか。期せずしてファーストディセントになったかもしれない。

長次郎谷もデブリが凄かった。デブリを避けながら、ぼろぼろの精神状態と体力で転げ落ちるように標高差1000mを下った。剣沢との出会いに到達したとき、本当に生きていることに感謝した。

感謝しつつも雪崩と雪庇崩落に備えて最速でアイゼンへ履き替え剣沢を登り始めた。相変わらず誰もいない。平蔵谷からあふれたデブリが長次郎谷の出会いまで届いており、長次郎谷のデブリと合体して沢中がデブリである。広いところで100mくらいあるんじゃないかという幅だ。高さだって2〜3mあるところもある。自然の驚異をまざまざと感じた。この時点で10時40分である。デブリのない斜面までは気が抜けない感じで、緊張を強いられるデブリ横断と登りであった。平蔵谷の出会いを越えたころから本当の安堵感が出てきて、生きてるって思えた。誰もいない晴天の剣沢をノロノロと登りながら、もう今回のチャレンジは終わりだなって思った。素直に早く帰りたいなぁって思った。

剣沢キャンプ場に戻ったのは丁度3時間後だった。上り返しだけで500m、一日の上りが1500mに達しており、この状態でフル装備の荷揚げは現実的ではなかった。一刻も早く無事は知らせたいが、体がいうことを聞かないのである。とりあえず成功のときのために持ってきていたアサヒスーパードライをプシュ。3分の2ほど一気にいただく。

すぐに水の製造を始め、残りのビールを飲もうと思ってたら、いきなりテント右のブロックが崩落。テントがつぶれかかる。おまけにビールはこぼれてなくなった。雪をどけて被害なしかと思ったが、翌日テント撤収時にポール変形が発覚した。午後2時くらいではあるが、朝からの行動を考えるとすでに心も体もクタクタであった。今日はここにとどまることを決め、ゆっくりと過ごす。なにせ携帯は繋がらないので最新の天気予報がわからない。今日のテン場はcharlie独りだし、ここで天気に閉じ込められる可能性もないわけではない。出発前の予報では土曜日までは持つはずだった。それにしても何故だれもいないのか・・・。ネットとか見てるとゴールデンウィークの剣沢キャンプ場は結構にぎやかな感じだったので、情報も得れるだろうと思っていたが・・・これも震災の影響なのか。不安を感じつつもユーコンジャックをちびりちびりやることで、少しリラックスできた。やっぱ少量の酒は必需品ですな。おかげで少しだけ「剣岳」を読み進めることができた。その勢いでもう一度ラーメンに挑戦する。平地では2分の湯で時間を4分にしてみたら、ややましな感じに出来上がった。水分大目のラーメンに仕上げてやっと昼ごはん。この状況ではあまり酔っ払うのも不測の事態に対応できないのでほどほどにしておく。地震の余震だってこの付近でも起こっているんだし・・・。

夕方からは少し風が出てきた。南からの雲が結構速い速度で流れてくる。天気は少し下り坂か?最新の天気情報が知りたい・・・やはり剣御前小屋まで登るか・・・疲れた脚でも2時間ではいけるだろう・・・帰りは滑ってくればいいし・・・どうせ登るなら、少し荷揚げしてデポしておけば明日が楽かな・・・などと考えていても体はクタクタで、崩れたテント周囲のブロック修理が精一杯だった。

すっかり曇ってきた夕暮れ、今度はパスタを作る。本当はレトルトカレーを食べて重量を減らしたかったが、水分の少ないカレーを食べる気になれず、カレーで汚れたコッヘルを洗うのも億劫に感じられた。パスタは茹で時間長く取ることでラーメンよりは出来がいい。ペパロンチーノはよいできだったが、一人前がとても多く感じられた。ここで生活したら痩せるかも。雷鳥の鳴き声が近くに聞こえるが姿は見えない。

曇ってはいるが視界はよい。剣岳の肩に時折ガスがかかっている。暗くなりかける頃にはシュラフにもぐりこむ。19時半くらいだが、今日の疲れを考えれば眠れるはずだ。しかし、体は交感神経優位のままなのか、まったく眠れない。風にはためくテントの壁が頭をこするのが気になる。自分の鼓動がやたら耳につく。高所のためかいつもより脈が速いようだ。昨日ブロックしなかった顔面の日焼けがシュラフにこすれて痛い。もぐりこんで自分の息がかかるとなお更痛む。今日は星が見えないのになぜかテント内は割りと明るい。新月周りだから真っ暗になるのかと思ってたら、富山方面の空が明るい。街明かりの反射なのかもしれない。
結局10時過ぎからウトウトしはじめたようだった。

5月7日 夜半2時頃から再び眠れなくなっていた。夕方から少し強くなった風が相変わらず吹いていて、テントの壁がパタパタと頭を撫でる。十分疲れているし睡眠不足のはずだから、こんなテントのはためきなど本来なら気にも留めずに眠れるはずだ。昨日よりは暖かく、シュラフの顔口は開けていても平気だ。むしろ閉めてしまうと日焼けの痛みが気になる。
時折時計を見ながら夜明けを待つ感じだ。相変わらず北の空は薄明るい。富山の町明かりなのか・・・。そのせいで今宵もテント内は薄明るい。
なぜ、眠れないのだろう。確かに高所のためか脈は速い。おまけに脱水気味でもある。でもおそらくは興奮状態が持続していて、本当の意味で安堵してないからなのかもしれない。
4時前になるとライチョウの泣き声が目立ってきた。喚起窓から外を見ると剣沢上部は雲はかかっているが見えている。このまま風がひどくならない事を祈りつつ夜明けを待つ。
昨日は4時20分にはテント内はかなり明るかったが、今朝はやや暗めである。テント正面を空けて剣岳を見ると上空に雲はあるもののくっきりと見えている。富山方面の空は青空のようだ。我慢ができずに4時半には起床してテント内の整理を始める。この暖かさなら少し早めに行動しても、雷鳥沢方面の雪はさほど固くないかもしれないと言い訳がましいことを考えていて、要は早く文明圏内に戻りたいのだ。剣を眺めながらありったけの紅茶をお湯で溶かしすする。風は強くはなってない。5時過ぎになっても誰も剣沢は無人のままで、剣を狙う登山客もいないようだ。ただ、源次郎尾根2峰直下にあった黒い点がもしかしたら登山者のテントだったのかもしれない。誰もいない剣沢で時折聞こえるライチョウの泣き声を聞きながら撤収にかかる。幸い風は強くなってないから、割とスムースに進んだ。ただ、竹ペグを深く埋めすぎたらしく掘り出しに少し苦労した。暖かいとはいえかなり凍っていた。次回からはもう少し浅く埋めたほうがよい。30分ほどかけて撤収終了。

5時45分に剣沢を登り返し始める。標高差は300mはないだろうが距離はありそうに見える。目印の旗ざおの周囲のトラックを利用して登る。朝一なので踏み抜く確立は低いが、他人の踏み跡は概ね信用できる。南からの生暖かい風が吹き抜ける誰もいない剣沢を黙々と登る。途中、黒い鳥が2羽飛んできて斜面に降りたので、雷鳥でも見つけた猛禽類かと思ったら、「カーカー」と思いっきりカラスで拍子抜けさせられた。時々、振り返り剣岳と剣沢キャンプ場を眺める。短いようで長く感じられた時間だったが、今、僕は文明圏へ戻ろうとしている。大げさに聞こえるかもしれないが、そんな心境だった。思ったより早く剣御前小屋に到着。ほぼ1時間だ。重い荷物の割には、朝一パワーと文明圏復帰を求めるパワーで乗り切ったのかもしれない。小屋前にはこれから別山方面へ行こうとする登山客らとすれ違った。雷鳥沢の向こうに室堂が見える。携帯を取り出し無事を知らせようとするが、さすがに朝6時45分じゃとってもらえないようだ。室堂乗越方面へ移動しながら、立山川への斜面を望むが、こちらも決して安全とはいえないと感じた。

この重量を背負ってまともな滑りは出来ないとわかっているので、最悪歩き下山も考えたが、雪はやはり昨日からの気温が高いせいか硬くない。滑って降りるのなら面の荒れてないほうがいいに決まっている。室道乗越からの登り道沿いよりも、どうしても雷鳥沢に目が行く。面も遠めには悪くなさそうだ。細いリッジ状の登山道から降りたところで、雷鳥沢上部に少し上り返し、ここでもう一度無事を知らせる連絡を入れ繋がった。文明圏へ復活だ!!

ストックもしまいフル重量を背負ってドロップイン。しかし、案の定脚にきまくりトラバース様に高度を落とし、時々エッジを変えるためにターンする。ここにも妖怪「板掴み」が潜んでいて、やられてしまう。バックサイドで起き上がろうとしても背中の重量のために全く立てない。フロントに戻すかテールを雪中に突き刺して立ち上がるしかないが、どちらにしてもえらく消耗する。雷鳥沢キャンプ場よりも東よりに抜けるラインも見えたが、リスクもありそうなので、室道乗越の登り口へ向かう。このあたりは雪が緩みすぎていて、転んだら最後二度と起き上がれなかった。仕方ないから板をなんとか脱ぐと、手をすり抜けて板だけが斜面を下って行ってしまった。なんとも無様な様相である。

下までは100mもないのでつぼでズブズブ埋まりながら降りて行く。板を回収し最後のアイゼン装着を行い、ゆっくりと歩き出す。7時半過ぎくらいだろうか、キャンプ場から室堂へ戻る人もいた。キャンプ場のテントは10張りちょっとで寂しい感じである。行動食を少しずつ口に入れながら進むが、足はなかなか進まない。みくりが池温泉から先は観光客だらけだというのに、そこらへんのおじさんおばさんよりも歩くのが遅い。少し歩いて少し休むの繰り返しでなんとか室堂までたどり着いた。剣沢キャンプ場を出て3時間ちょっとという感じだ。もう疲労困憊でザックが下ろせなかった。一度下ろしたら二度と担げない気がして、無理やりワンピッチで帰りきった感じである。でも、とにかく室堂に戻ってきた。

すでに青空が広がり、緊張感のない観光地の室堂に。




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道具&準備について

今回のギア
テン泊に関して
テント モンベルステラリッジ2 広さ的にはこのくらいあったほうがいいのかもしれない。これで冬山二人だと相当整理整頓が必要だな。
グラウンドシート 銀マット 必要だと言われているので使ってみた。快適ではあるが、ない時を知らないので効果がいまいちわからない。


あったらよかったもの
1ボールペンとメモ その場で書きとめておくことも大事だ!!
2シュラフカバー 今回はさほど寒くなくテント内もあまり結露しなかったので結果的には大丈夫だった。
3テントシューズ やはりこれは便利なのだろうテントへの出入りが億劫でなくなるはず。
4紅茶やコーヒー 温かい水分として摂れる物は大目に必要。だけど利尿作用が大きいものはやめたほうがいいかな。トイレの回数が増えて面倒。スープなんかがいいのかも。
5小便入れを兼ねられる広口の入れ物

なくてもよかったもの
1のどが渇いた状態では食べれない行動食。今後研究の余地あり
2過量な食料 予備も含めてだけど一番考慮が必要である。緊張度の高い旅ではさほど大量には食事は摂れない。