黒パンとウォッカの旅

text by charlie

4月29日 みどりの日の今日、例によって二日酔いの頭を抱え新潟空港に降り立った。朝一便の奄美から鹿児島、伊丹と3本乗り継いだ割には早い到着であった。今回のメンバーと合流の後、早速チェックイン。機内に預けることが出来る重量は20kgまでだそうだがそれは無理な相談だった。持ち込み手荷物の重量を測らないだけマシだったがそれでも大量の超過重量に対する出費を課せられた。

新潟空港だけはターミナルと直接結ばれる

今回の機体はウラジオストック航空のツボレフ154型機だ。非常時には背もたれがパタンと前に倒れて巨大な貨物室に出来ると聞いていたが、まんざら嘘でもなさそうで本当に背もたれは垂直に近く容易に前に倒れるのだ。従って、着陸時に人が座ってない席は一斉に前に倒れるものと考えられる。今回はあいにくほぼ満席だったのでそのようなことはなかった。機内は年期を感じさせる。おそらくはアエロフロート時代からのお下がりなのだろう。いかにも古いソビエト時代を連想させる制服を着たアテンダントが忙しそうに働いていた。何しろ新潟からウラジオストックまでは1000km弱で1時間半ほどで着いてしまうのだ。その間に国際線の標準的サービスを一通りやるのだから忙しいのは当たり前だ。食後のコーヒー紅茶を頼むと白湯とパックを渡されるのには笑ってしまった。

ウラジオストック到着後、いよいよ入国手続きであるが、パスポートコントロールとイミグレーションが別々になっており時間もかかり無駄の多さを感じる手続きであった。関税でGPSを所持していないか聞かれたけど、やっぱ軍事機密とかに関係あるのかな・・・。無事に入国するとすらりとした美人通訳ガイドが待機しており、バスに乗せられて陸路をウラジオストック市内へ向かった。

全体的に風景は暗いが、緑が芽吹いているだけ悲壮感はなかった。しかし、旧ソ連時代の名残なのか建物はどれも画一的で、どれも古い。シベリア鉄道の終着駅であるウラジオストック駅の近くに泊まるホテルは建っていた。夕刻、ホテルにチェックイン。ロシアでは外国人はパスポート携帯義務があるらしい。ホテルに泊まる時も必ず預かられてしまう。なにかしら手続きがあるらしい。

ホテルから金角湾を望む

とりあえず晩飯には、ボルシチ、ペリメニ、黒パンといった定番料理にウォッカで決まりであった。ホテル併設のカジノのレストランだったが、なかなか美味しかった。ステージに棒が立っているところがそれらしかった。適当に酔っぱらってさぁ、寝ようとする頃電話がかかってきた。「女の子いらない?」だと。いったい誰が部屋番号教えたんだ!!「おまえ誰だ?」ってたずねると「ぽん引きお兄ちゃん」と返答。やはり日本人相手は商売になるのね・・・・。

ボルシチ

ロシアのホテルってフロントで鍵をくれないのだ。なんだか部屋番号を書いた紙をわたされて指定された階に行くと、そこに別のフロントみたいなのがあり、そこの担当員が鍵をくれる仕組みになっている。各階にそういう担当員がいるから監視されている気分になってくる。無駄この上ない感じだが、実はミニコンビニ状態で結構便利である。

翌日は朝一から自由市場へ見学に行く。コンテナに無造作に売り物をつっこんで多くの出店が出ている。雰囲気的にはインドネシアの市場を北国版にした感じだ。売ってあるものも購買意欲をそそるようなものはほとんどなかった。アイヌネギや魚の干物を買い、ピロシキ風の食べ物を立ち食いしたりして時間をつぶした。釣具屋を見つけて入ってみたがあまり目新しいものはなかった。

便所を何とか探して行くと、この国も便所代が必要だった。ここは5ルーブルだった。

再びウラジオストックの空港。国内線でチャックイン。今度はご丁寧に手荷物まで測っている。おまけに荷物の中のトランシーバーにいちゃもんをつけてきた。言葉はわからないがなんだか気に入らないようである。最終的にはアバウトで通してくれた。あれは軽い賄賂要求工作だったのかな・・・。

今度は3時間超のフライト。国内線ではあったが機内食も出た。


すかさずイクラも出てきた、さすがだ。ちなみにロシアでは魚の卵はみんなイクラだ。
したがって、めんたいこもイクラだ。

いよいよ、目的地ペトロパブロフスク・カムチャツキーに到着。またしても機内でパスポートを回収される。いったい何なんだ!!ウラジオストックに比べかなり気温は低い。お出迎えには日本語の堪能なアレクセイが待機していた。空港はエリゾオと言うところに位置し、ペトロまでは30分ほどかかる。途中のスーパーでちょっとしたものを買い込んで備えた。せっかくだからcharlieとしてはキャビアを買ってみた。900ルーブルもしたので一気に金が減ってしまった。

ペトロパブロフスクホテルにチェックイン後、すぐに夕食。緯度が上がっているので日暮れはだいたい10時半頃。まだ明るいうちからウォッカをあおって酔っぱらう。併設のバーでカチャーシーを披露して記憶をとばしたのは言うまでもない。

酔ってたせいか舌が馬鹿なのかあまり感動する味ではなかった

5月1日 予定より早くヘリが飛ぶとのことで、まだ酔ってる状態で用意してヘリポートへ。


20人乗りのミリー8
明らかに軍のお下がりだ
背後にコリャークスキーを望む

後部ドアを開けててんこ盛りで荷物を積み込む
大量のビールとウォッカは最も重要な荷物だ

ロドニコヴァヤまで約30分のフライト。アバチャ湾を越えビリューチンスキーを横目に飛んでいく。
到着後はすかさず荷物を下ろして、近くのピークへ運んでもらう。ロシアでの一本目。全体的に地面も空も真っ白で何も見えない感じである。おまけにシュカブラだらけで二日酔いで転びまくりの幕開けであった。

ビリューチンスキーをバックに滑る

photo:nara


rider:charlie


攻めがいのあるシュートもあったが今回は行けなかった

僕らの遊園地

このモービル凄くないっすかぁ?

温泉はふんだんに湧いていて、日本的な感じもする。

室内風呂


ここで寝泊まり

川を堰き止めた露天風呂


ヘリは迎えに来ないしすることないし暑いしブラブラ呆ける。
紫外線は強烈である。焼けにくいcharlieもガングロになりました。

本来は途中からアバチャ山に移動する予定だったのだが、天候は回復せずロドニコヴァヤに延泊することとなり、日焼けしつつハイクしつつヘリを待つのであった。結果的には一日遅れでヘリは新たな宿泊客と大量のウォッカを満載して飛来し、我々もなんとかペトロへ戻ることが可能となったのである。

最終日、charlieは念願の釣りへ出かけた。アンドレというガイドを雇いハイラックスサーフに乗り込み、プロトニコワ川へ向かった。ペトロからは150kmほどである。

ガスステーションもかなりだ。

ミキジャというトラウトがいるらしいのだが、いかんせん時期が早いらしく、オショロコマとちびちび戯れるのみとなってしまった。まぁこんなもんかな・・・。途中な街で買ったピロシキがかなり旨かったのが印象的だった。

最終日の夜はアレクセイの案内で町中の居酒屋で打ち上げだった。「BUSH BAR」という英語の名前のレストランだった。珍しく禁煙だったなぁ。現地にしてはかなりおしゃれな居酒屋で料理もかなりいけていた。スケソウダラやイクラなど食材は北海道とほぼ同じ。もちろんウォッカもたっぷりと頂いて幕をしめた。

いけてるウォッカ


コカコーラはここにもあった

5月6日 ペトロからウラジオそして新潟と、莫大な荷物の超過料金を支払い、ぎりぎりの乗り継ぎをメイクして伊丹、鹿児島と戻ってきた。


空港駐車場
ランクル100がかなり目立つ。
これはいったい・・・・・

ロシアは喫煙の国だ。
機内でも一応化粧室ない禁煙ということになっているが、トイレは行列が出来ていて、2人ずつ入ってタバコを吸いまくる。滑走路横でも喫煙OKだ。アバウトというかいい加減というか・・・。

しかし、さすがに奄美まではたどり着けず、一泊の鹿児島空港ホテルステイを余儀なくされた。島は不便だからねぇ。

ロシアは今後、期待大ですなぁ。

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