日本航空国際線ジャカルタ行き
7月9日は朝からいい天気だった。昨日の夜の喧噪(実は昨日は成田祇園祭だった)が嘘のように静まりかえってかえって不気味な印象すら与えた。おそらくはこれが普通の成田駅周辺の朝の姿なんだろう。乗り換えるために駅と駅の間を高校生達が流れていく。機内で食べる非常食用におにぎりを5つほどコンビニで買い込む。本当は機内食が出るし、日本航空だからそんなにまずいもんは出さないだろうと予想しているのだが、おにぎりを買い込んで飛行機に乗るのが習慣になってしまっているのでなんとなくやめられないのだ。都会のコンビニにはいろんな種類の飲み物があって、これまたどれにしようか悩むがとりあえずかたいところである茶を3本ほど手に入れて電車に乗り込んだ。
今回の旅行はリッチなことに日本航空を利用するため成田第2ターミナルからの出発である。成田駅からはすぐに到着した。ここでも改札の前にパスポートチェックがあった。そうかーここでもやるのか、大変だな。ただちらちら見てるだけなのにな、でもこれがかなりの犯罪を未然に防いでいるんだろうな。そんなことを考えながら出発ロビーまで上がる。
まずはNPSスカイポーターのカウンターで奄美から事前に配達しておいたサーフボードを受け取る。金額的な確認作業でかなり待たされたがお姉ちゃんが可愛かったのでまあ許そうという気になった。とりあえず8千円くらいかかった。
しかし、問題はこれからである。最近、日本航空はサーフボードに対してべらぼうなチャージをかけるようになったということがサーフィン雑誌に載っていたので、非常に気になっていた。今回の旅行はせっぱ詰まってからいきなり決めたので航空会社を選ぶ余裕は全くなかったのである。いつもなら安いガルーダインドネシア航空を利用するのだが今回はそうはいかなかった。でも運賃が多少高いだけでさほど気にはしてなかったのだが、ボードチャージをすっかり忘れていたのだ。サーフトリップの最大の難関といっても言ってもいいかもしれないこのボードチャージのやりとりは結果から言うと全く存在しないまま終わってしまった。カウンターで航空券とパスポートを見せてあっけないほど何事もなく搭乗券を手にした。ラッキー!!
そういえば、最近から日本人の出入国カードが廃止になったと聞いていたが確かに存在しなかった。これはかなり楽になった気がする。処理も簡略化できているはずだ。こういうのは早く導入すればいいのに日本という国は何かと非合理的でさっさと行動できない国なのだ。諸外国の猿まねしかしないし・・・っと愚痴っても仕方ないな。
そんなこんなで、とりあえず機上の人になることには成功した。機体はさすが日本航空だけあって、ゴージャスな装備がついている。シンガポール航空並の液晶画面と個人電話など、非常に快適な空の旅であった。機内食も日本人向きの味付けだし、飲み物の種類が少ない(カンパリがない)ことを除けば快適だった。ところが、後にこの感想は180度ひっくり返ることになる。ジャカルタ経由デンパサール行きのせいでバリに向かうと思われる新婚やカップルが目立つ。ジャカルタで降りるのは、どちらかというと仕事で訪れているような服装の人が多かった。
入国手続きもスムースに終了した。あっけないほどにすぐに終わった。最近は入国時のスタンプの日付を過去の日付で打っておいて後でビザなしでの滞在期間超過をでっち上げる手口があると聞いていたので気をつけていたが、なにも問題なくニコニコと笑う入国審査官だけが印象に残った。
税関を通り抜けると両替屋が二つある。だいたいこういうところの両替屋はレートが悪いって言うのが通説ではあるが、滞在がたった4日だし面倒くさいのはイヤなのでさっさと1万円分両替した。85万ルピーである。昔、何年前か忘れたが少なくとも10年以上前には一万円で20万ルピーぐらいにしかならなかったのを覚えている。そのころに比べると恐ろしいほどの価格価値の変化である。
重たい板を抱えて到着ロビーに出ると私の名前がローマ字で書かれた紙を持っているインドネシア人を発見し、ほっと安心する。短期しか休みの取れない一般職業に就いている人の場合はすべて代理店がやってくれるツアーの方がお気楽でいい。もとろん1人ですべてを用意して旅するのが楽しいことは楽しいのだが、移動や宿泊などうまくいかないと異様に時間が無駄になってしまうことが多い。さらに年とってくると物忘れが多くて大事なことでさえ忘れて旅行自体が成立しなくなる可能性がある。そういうわけで私はやっぱり代理店に頼むのである。(何か言い訳がましいが・・・)
とにかくそのインドネシア人に拾われた。同じ飛行機でやってきたもう1人の日本人とここで初めて出会った。S氏である。年は26歳でデパートで働いていると言っていた。トリップ経験は多くはないとのことであったが、Fijiにも行ったことがあるらしくシンガトカのクラブマサの話で少し盛り上がってしまった。彼は両替がすんでなかったのだが、ガイドのインドネシア人がそこらへんのインドネシア人を捕まえて両替させていた。87万ルピーである。ついでに空港の外側にある両替屋を覗いたら88万ルピーだった。やはりついてすぐの両替は損である。しかし、損とわかりつつも替えてしまうのも一つの手ではある。
インドネシア人が腹は減ってないかと聞いてくる。私はおにぎり攻撃のためにそんなに減ってなかったのだが、S氏が何か食べるというのでマクドナルドに行くことにした。マクドナルドの値段設定は日本と大差なかった。おそらくこの国では高い食べ物であろう。チキンとコーラを頼んで運ぼうとしていきなりコーラを床にぶちまけてしまった。しかも結構混んでる空港のマクドナルドで。一瞬ドッキリしたが、すぐに店員がやってきて新しくコーラをくれて床を掃除してくれた。素早い対応だった。サンキューマクドナルド!!
さて、いよいよインドネシア人の車に乗って出発である。車はトヨタ。二人あわせても4本の板なので全部車内に入れてゆったり乗れる。
空港をトヨタが走り出すとそこには大都会の大高速道路が走っていた。どこまでも続く6車線の高速道路と都会の景色がなんだかサーフトリップに似合わない気がしたが、まあそんなこともあるだろうがいずれ田舎道になるだろうと予想して別に気にもしなかった。プラブハンラトゥの街まで300qの道のりであったが半分は高速道路みたいなもんである。非常に快適でよかった。半分を過ぎる頃には日もすっかり暮れてしまっていた。いつの間にか普通の道路になっていたが交通量はものすごく多い。
いいかげん小便したくなった頃、薄暗い食堂の前に車は停まった。インドネシア人は便所に行けといっている。(言葉はわからないがそういうふうにとれた)飯も食わないのに便所だけ借りるのは気が引けたが、その辺でできる雰囲気でもないので、素知らぬ顔で便所までスタスタ歩いていった。便所といえば久々に見る汚い便所である。トイレットペーパーのない手洗い式の便所である。何を手で洗うかはここでは述べない。述べなくてもだいたい解ってもらえるだろう。S氏もインドネシア人もみんな小便したところで、店の店員がお茶を持ってきた。どうやらインドネシア人は飯を食うらしい。竹を編んだような容器に米がいっぱい入って出てくる。自分でほかのテーブルの上に並べてある数多くの料理の中から気に入ったものを取ってきて、それをおかずにご飯を食べるのだ。インドネシア人は黄色いあんかけが載った魚を右手で上手にむしりながらご飯を固めて口に放り込んでいた。さすがだ。これでは左手は便所用に取っておかないといけないなと妙に感心してしまった。私はお茶を飲みながらそれを見ていたが、S氏はお茶に危険を感じたようで口をつけてなかった。
食事が終わってからの道のりは、どんどん悪化していった。ワインディングが延々と続きアップダウンも結構きつい。睡魔はおそってくるが振動が激しくていまいち熟睡には入れない感じであった。
車は宿泊地に着いた。DESA RESORTである。板を降ろしてチェックインし部屋へ案内してもらい、すかさずラージビンタンを1本頼んだ。ビンタンとはインドネシアのビールで結構美味しいのだ。何はともあれまずビールでしょうってことでS氏と飲もうかと思ったら、「もう寝ます」と言って彼はドアを閉めてしまった。波乗りに懸ける意気込みはかなりすごいのだろうか・・・・
気を取り直して部屋を見るとこれはかなり豪華である。まあ一応ツアーだからあんまりひどいところではないだろうと思っていたが、これは予想外によかった。まず、クーラーがある。快適だ。お湯が出る。これもかなりポイント高い。おまけにライティングがおしゃれな感じで、これなら彼女づれでもそうそう文句は出ないだろう。これで文句を言う女性とは別れた方がいい。絶対にいい。ここはイスラム教圏だから奥さんは何人いてもいいのだ。おっと、話がずれてきてしまった・・・・。
なかなかいい部屋でしょ?男独りにはもったいない感じである。
とりあえず板を出して無事を確認してフィンをとりつけてベランダでゆっくりとビンタンを味わった。静かである。バーから時折ビリヤードの音が聞こえるが騒々しくはない。オレンジ色の光に照らし出された庭が日本とは違う空気の中にあって、久々の旅を実感させてくれた。久々の独り旅のせいか妙に異国にいる感じが感じられた。インドネシアに来るのは確か7回目くらいだが、ここはバリと違って静かだ(もちろんバリにも静かなところは多くあるのだが)。明日からの波乗りに思いを馳せながら第一夜は静かに更けていった(その後も静かだったが)。
何となく幻想的ですらあるDESA RESORT
次の日の朝はかなり早くから目が覚めた。時差のせいもあるが、一週間前に奄美大島のリーフで台風4号にやられた脇腹の傷が痛むために寝返りとかがうてないのが主な原因だ。まさか旅行に差し支えるような怪我をするとか思ってなかったのに、すっかりやられてしまって、おまけに冬にニセコで痛めた左足も不完全なまま、本当に不完全な状態でウェストジャワの波に挑むことになってしまった。
とにかく朝起きてみるとまだ外は薄暗かった。部屋から出て辺りを眺める。昨日着いたときは夜中だったので周りに何があるのかはよくわからなかった。熱帯らしく椰子の木が深々と生い茂り、遠くまで延々とその景色は続いていた。目の前には護岸中の幅10mくらいの川が流れていた。水はドブ色である。とても魚がいそうには見えない。(後にこの河口で投網を投げている人を見たから実際は何かいるようである)その川に橋が架かっていて海に向かう道に続いている。独りのオーストラリア人がすでに板を小脇に抱えて梯子を下りていた。「チマジャに行くのか」とたずねたら面倒くさそうに「そうだ」と答えてきた。
早速、隣のS氏とともに板を抱えて海に向かう。部屋にいたって波の音は聞こえるぐらいだから、川沿いに歩いていくと次第に音は迫力を増していった。S氏は盛んに波に乗れるか気にしていた。私も気にはなっていたが、どっちかというと傷が痛むのではないかという方が気がかりだった。
この向こうに海がある
この橋を渡って
どんどん歩いていく
もうそろそろ海かなというところまで近づいたとき、なにか巨大なものが側で動いた。まだやや薄暗いのと頭が寝ぼけていることでびっくりしたが、それは3頭の水牛だった。寝そべって何をするでもなくこっちを見ていた。危害は加えられそうにないので知らん顔で側を通り過ぎた。あーーーびっくりした。
さて、いよいよ海である。波である。玉石がびっしりと敷き詰められた海岸線が続いている。玉石のせいか波が来るたびにかなり大きな音がする。ショアブレイクも下手すると怪我しそうである。
そこにはセットで2〜3フィートの面ツルのライトハンダーがあった。少し厚めでテイクオフは簡単そうに見える。セクションによっては巻くところもあるようだ。すでに3人入っている。すこし体をほぐしつつ入ってみた。久しぶりのパドルはなかなか進まず、脇腹も海水がしみて痛かった。それでもピークにつくと久々のいい波に興奮して痛さはあまり気にならなかった。チャンスがあればテイクオフを試みたが、思ったよりシビアで何回も降った。そうこうしているうちにどんどん人が入ってきて総勢15人くらいにまでふくれあがった。ローカルもいて、みんな上手いから当然波もとれなくなってきて、1時間に1本ペースになってきていた。どちらかというとピークでセットを狙っていたので、一番沖にいたのだが、同じ場所で待つローカルが声をかけてきた。カタコトの英語で「どこから来た?」といってくる。おきまりの会話だ。「日本」と答えると、笑っている。それだけか!!とつっこみたくなる。見るとかなり若く、おそらくは15歳くらいに見える。日本人より若く見えるもんね、インドネシア人は。小柄なせいかもしれない。波待ちの間に少しずつ会話していると慣れてきたせいか「俺はイキだ。おまえの名前は?」と聞いてきた。そうやって自己紹介みたいなのをしてからは彼はセットの波を譲ってくれるようになった。ここはまだ平和だなと感じた。バリのクタビーチでは考えられないことである。ここがいつまでもこんな平和な場所であり続けることを祈らずにはいられなかった。結局11時頃までの約四時間海に入りつづけたせいか、頭がくらくらしてきてしまった。おそらくは髪が薄くなったせいで頭領部が日に焼けやすくなっているせいだろう。年をとると大変なことが多い。
昼食を食べて(というより朝飯なのだが)再び海に入る。少し風が出てきたせいか面はちょっと荒れている。しかし、ぜんぜん問題ないレベルである。おまけに人も少ない。久々に思う存分波にもまれた。波乗りしたとかリップしたとか大きな声で言えない自分の技術のなさに腹は立ったけど、とにかく楽しかった。5時間も入り続け、計9時間も海水に浸かっていた。「結構若いじゃん!」と自分で思ってしまった。
見た目はいいでしょ?
知らない間にS氏は別の日本人と親しくなっていた。U氏である。彼もかなり若く、独りでインドネシアをサーフトリップしているそうである。「若いうちにやらんとね」と心の中で思った。自分にはもうできない感じである。独りで長く旅しているとかなり寂しいんだよな・・・・。色々考える時間が多いのはいいんだけど、日常に忙殺されていてふだん目をそらしていたものにも向き合わなきゃならないことは意外と辛いことも多いんだよね。暑い国だとすぐどうでもいいやって思えてくるからまだいいけど・・・。
夕方にはU氏とS氏と3人で近くのレストランへ食べに行った。ナシゴレンを頼むとチキンがついてきてスゲー得した気分になれた。もちろんビンタンも2本飲んどいた。聞くとU氏はシンガポールから来たばかりだという。はじめにスンバに行ってマラリアにかかったそうである。40度の高熱のためにシンガポールの病院で2週間の入院を強いられたという話を聞かされた。おーーー、日本人でマラリアにかかった人に初めて会った。なんか生々しくてゾクゾクしてくる。ここウェストジャワはマラリアよりデング熱だそうだ。気をつけて旅しないとね。
この時間のビンタンがまた旨いんだな
波乗りも二日目になるわけだが今朝は朝からどピーカンである。昨日は終日曇りっぽい天気だったのだが、今日は暑そうだ。早速海にはいるが昨日のパドル疲れと脇腹の傷の痛みのせいかあまり長くできなかった。おまけに6'6"の板がほとんど折れてしまった。あと一回巻かれれば3ピースになりそうなので早めに上がって朝飯を食った。ローカルが夕方までに修理してやるなどというので、どうせほとんど折れてんだし、10万ルピーだというのでお願いすることにした。(本当に夕方にはできていて見栄えはともかく使える状態に戻っていた)デニというローカルがいるのだが、彼はDESA
RESORTに併設されているサーフショップに勤務していてよく面倒をみてくれた。ほかのポイントのガイドもやってくれる。ルックスがいいのでジゴロで食っていけそうである。まあ、相当数の日本人が今までに来ているせいで、いかにもサーファーが話しそうな下品な言葉はよく知っていた。これはもうしょうがないかも・・・。
そういえば昨日の夜遅くに着いた日本人が合流した。湘南から来た46歳のロングボーダーO氏である。なかなかハイパーなおじさんでピークから突き刺さっていた。これがまたおしゃべりなおじさんでいろいろ話しているうちに、いつのまにか3人で近くのポイントに波乗りに出かけてしまっていた。南に10分ほど車で行くとチマジャより2サイズ小さいカランサリというレギュラーポイントがあった。セットで胸くらいだったがファンウェイブで楽しかった。次は西に30分ほど行く見えてくるカランハジというレギュラーポイントに向かった。この頃から脇腹がかなり痛くなりだしており、カランハジの波がいまいちだったこともあってビーチでひたすら痛みと格闘していた。
夕方には宿に戻ったのだがあまりの痛さにそれ以上波乗りする気になれず、ビールと痛み止めを飲んでこらえた。O氏とS氏は夕方の面の荒れたチマジャで最後のセッションを楽しんでいた。
面が荒れてると言ってもこれくらい
熱帯の夕暮れ
この日はO氏、S氏、U氏と連れだって別のレストランへ行った。私以外はみんなチャプチャイという野菜炒めを食べていたが、私だけは相変わらずナシゴレンを食していた。O氏から湘南のあれこれを聞いて都会の波乗りについて勉強させていただいた。解ったことは、原チャリで移動するのが賢いということであった。そういえば台風4号のうねりは湘南にも届いていたらしい。でかかったもんなー台風4号。
三日目はとにかくチマジャを攻略する事だけを考えた。朝一から入るのだが結局あまり乗れないうちに人数が増えてしまうのでよけい乗れないのだ。朝飯を食ってから作戦を変えてインサイド狙いに変えてみた。人数が減ったこともあって、このセッションは死ぬほど波に乗れた。2時間足らずでパドルできなくなって(力つきて)上がってしまった。でも満足!!久しぶりにサーフィンした気になれた。しかし、またしても6'4"のレールがやられてしまった。昨日のローカルのリペアを実感していたのですかさず頼むことにした。3万ルピーでしっかり直ったのは言うまでもない。そういえばバレルを狙っていたオージーとO氏がぶつかっていたが、その板もきっちり直していた。
ラストセッションは昨日より面が荒れていたのですぐに上がって終了した。やっぱり波は朝一がいいな。
なんともう明日は帰る日なので、今日はあまったルピーを使うぞってんで私のおごりということで4人で食いまくった。ナシゴレンをはじめイカンゴレン(魚の開いたものをグリルしてある)、チュミチュミ(いか)、サテ(ピーナツ味の焼き鳥)、スープなどなど。思いっきり食って飲んでしめて17万ルピーだった。幸せいっぱい。
テーブルクロスがいい感じでしょ?
レストランの前で発見されたカブトムシ。日本のとちょっと違う。
後で聞いた話だが、カブトムシはかなり高く売れるようで、アメリカに売りに出しているらしかった。
最終日。残りの3人は今日は朝から船をチャーターしてサワルナという巨大レフトに向かうようである。私は最後のチマジャを攻めるべく朝一でビーチに向かう。しかし、今日はでかい!!3〜4フィートであろう。たかだかダブルちょっとだろうと鼻で笑われそうだが、波質が緩い分だけパドル距離が長いし、インサイドはクローズアウト状態なのだ。セットを見極めていったつもりだが、アッという間にインサイドで捕まってドルフィンしているうちに数百メートル流されてしまった。とりあえず諦めていったん岸に上がる。クタやレギャンのダンパー部分からゲットするのを想像してもらえるとかなり近いかもしれない。
もう一度トライすると何とか出ることができた。でかいせいか今日は全部で5人しか海に入ってなくて、かなりのサーファーがビーチまで来てしばらく眺めて帰っていった。
とにかく、セットはでかい。かといってインサイドにいれば必ず食らうので思い切ってセットのみに照準を絞った。なかなか難しかったが2時間で5本ほど満足できる波乗りができた。これくらいのサイズだともうあまり攻めきれなくて、波に乗せられている感じだが、それでも久々に高速カーヴィングを堪能した。
こんな感じになってしまうんですよ
午前9時にはさすがにくたくたになって上がって、朝飯をゆっくり食べてからビーチに戻って撮った写真が上です。まあセットはこのくらいです。ライダーはローカルです。私には限界サイズでした。インサイドでセット食らうと死にそうですよ。マジで!!
1時間ほど眺めていたけど、このポイントの隣にあるインジケーターという高速バレルポイントでは、死にそうなバレルが見えていました。あれに巻かれたらひとたまりもなさそうに見えたけど、入っている人はいなかった。やっぱり人は怪我していると攻撃性が減るような気がする。体が全開なら疲れ果てても海に入り続けたりするんだけど・・・
4日なんてあっという間だ。もう帰るのかいって感じでパッキングしてビンタン飲んで迎えの車に乗ってジャカルタに向かう。
帰りにプラブハンラトゥの街に少し寄って買い物をした。なんだか昔のバリを思い出す風景だった。商売人達もスレてなくて、ぼられることもあまりない。(実はぼられているのだろうがとんでもない値段設定ではなさそうだった。少しくらい笑ってぼられてあげるのがいいのかも)
懐かしい風景
高速に入る前のあたり
金曜日のせいか高速なんて20qくらい渋滞していた。ジャカルタは大都会だ。運転手は帰りの渋滞のことを考えてがっくりしたり、ラジオ放送を聞いて「大統領のくそやろう!!」と怒鳴ったり忙しそうだったが、私はのんびりドライブを楽しんだ。
空港では日本航空に104ドルものオーバーチャージを取られ、二度と日本航空なんか使うもんかと固く誓って機上の人となった。最後が印象悪いので機内サービスもやたらむかついてしまった。まあ、たちの悪いサーファーも結構いるから航空会社としては乗せたくないのかもしれないな。ジャカルタを出発して4時間くらい後に沖縄近海を飛び越え、朝には成田に到着した。相変わらず成田は、多くの人で何をするにもごった返していて、ちょっと辟易してしまった。
日本に帰って最初にしたこと、それはお寿司屋さんでアジのたたきを食べたこと。やっぱ日本はこれだよね!!ほんの僅かの期間日本を離れただけで、こんな気持ちになるのだから、もう日本から離れられそうもない。年をとるに従って、食に関してこだわりが強くなるのは仕方がないことなのか?それとも私だけだろうか?ただ単に食いしん坊なのか?でもやっぱり食って生活の重要な部分なので、こだわるのは仕方ないと思う。「・・・・は・・・・産のじゃなきゃダメだ」とか言い出すとどこにも行けなくなってしまうので困りものだが・・・。
新高輪プリンスホテルで仕事があったので、夕方は眠たい頭をしっかり使ってしまった。
夜には山の友人達が集まってくれて、美味しいご飯とお酒ですっかり上機嫌になってしまって、朝4時頃まで調子よくいってしまったのでした。bobbyに連れて行かれた中華料理屋の「豚の大腸ニンニク炒め」は絶品でした。こうして旅は締めくくられました。やっぱり日本はいいね。