15年ぶりのウィルクス

text by charlie

3月20日 昨晩食べ過ぎた博多のもつ鍋で腹部膨満したまま機上の人となる。昨年は国内トリップ(しかも仕事がらみ)のみのレポートしか出ないほどbarrel海組のパワーが落ちている事もあり、これを挽回すべく3月という北国シーズンにもかかわらず南半球へ向かった。charlieとしては昨年ビーチハウスを建ててしまったせいで超金欠なために、最大限の節約旅行を敢行したことになる。となると、やっぱりKEなわけです。

3月21日 春めいた奄美だけれど、ナンディ国際空港はやっぱり桁違いの夏でした。友人が迎えに来てくれてステイも食事も友人宅で過ごす予定です。空港から15分ほどの高級住宅街にある友人宅は平屋150坪という巨大空間にプライベートプール付きという一生に一度はやってみたい憧れるような佇まいでした。朝一でついたので、早速波チェックのために船に乗り込む。アシスタントのフィジアン、マイケリーとも挨拶を交わす。

デナラウハーバーを出て約20分、平たい小島が見えてきた。タバルアである。1993年に初めて見たタバルアのブレイクは恐ろしく早く強烈だったのを昨日のことのように覚えている。あの時は朝暗いうちからホテルのチャーターボートで1時間以上かけて来たのだった。まだインターネットもなく、アメリカから取り寄せたTHE SURF REPORTという情報を元につたない英語でおっかなびっくり辿り着いたのだった。薄暗い光の中で遙か沖に見える白い線が、やっと横に走れるようになったcharlieの不安をさらに増幅させていたのだった。タバルアのブレイクを横目にナモツのレフトではひたすらパドルしてピークを維持するだけに終わり、ウィルクスではショルダーの端でビビリながらちょっとだけ乗った程度だった。奥から乗り継いでくるサーファーがどんなに格好良かったかもはっきり覚えている。水の美しさもインサイドの浅さも・・・・

あれから15年、帰ってきました。このワールドクラスポイントの側へ。数年前にカンダブ島でキングコングレフトはやったが、ここは久しぶりである。初心に返る場所かもしれない。


天気は薄曇りで色はいまいちかな。ご覧の通り波は小さい。

とりあえず友人もサーフポイントに船をつけるのは初めてということで、ちょっと沖目から落としてもらいパドルイン。裏側からしか見てなかったのではっきりはわからなかったが、でか過ぎるということはなさそうだった。


ハゲが暑いので帽子は必需品

思った通りセットで頭チョットというところか。入ったときは無人だったが、あとで二人入ってきていた。天気はいいし面ツルだし怖くないし気分はサイコーである。これがダブル以上あったらビビるだけだろうなぁ・・・このシーズンで良かったぁ。

今日は足馴らしということで1時間程度で上がった。長旅で疲れた体にはほどよい波乗りだった。

3月22日 朝から風が強めである。ポイントにつくまでは状況がわからないので、ドキドキしながら行ってみるとウィルクスは風が合っている。面はブヨつくもののうねりは昨日と同じでサイズはないもののしっかりしている。今は大潮周りで昼間は干潮のせいかサイズは小さいのかもしれない。

ホームポイントで使う板をチョイスしたが、カレントが早すぎてピークを維持するのが難しい。ピーク維持に体力を使い切るとテイクオフが危うくなるので、すぐに板を交換してデブ専用板に戻す。


これは奥目のピークから割れてくるやつでこのくらいのサイズまでは乗りやすい


格好良くいきたかったが、顔面リップ直撃!!なにやってんだか・・・


珍しくトップでの画像。波が速くて突っ走ることが多くなってしまうんだよねぇ・・・

3月23日 この日はシュノーケリングのみ。夕方からはディナークルーズでござる。


ファイアーダンス。妙にショー化されているのであった。

3月24日 この日は完全に釣りに費やした。サーフボードも船に積まなかった。そのおかげか海の神様は最大のプレゼントをcharlieにくれたのだった。
釣りの話も見てやってもいいよという釣り好きなあなたはこちらへ。

3月25日最終日 朝から気合いを入れてポイントに向かう。昨日から機嫌の悪いエンジンは今日もイマイチ。そのためポイントまで1時間はかかった。しかし、最終日にして波は上がっていた。というより満潮時に来たからかもしれないが確実にサイズは上がっていた。それとともに人もかなりいた、と言っても十数人というところだが。

入念にワックスアップしてパドルイン。一番ピークの更に奥からパドルインしたために今ひとつサイズがつかみ切れてなかったせいか一発目から捕まる。次第にピークもわかってきてポジショニングする。最大セットはダブルくらいはある。久々のグランドスウェルにちょっとビビる。それでも回ってきたやつにトライし巻かれたり刺さったりしているうちに慣れが戻ってきた。いつも島で小さいのばかりやってるからこうなるんだよなぁと思いつつ、島ででかくなるとやばさが半端ないんだよなぁと思い直したりする。

ラッシュガードと帽子の全脱げも喰らいつつ、それなりに乗れた波もひた走って捕まる感じだった。テケテケの日本人が一人入っていて、あまりに無謀な感じもしたが、今日は流れも弱く喰らい続けるのもそれはそれで楽しい思い出かもなぁと思ってしまった。


最後の一本を写真に撮ってもらった
セットはこれより全然でかい


走り続けるとかぶることもある


上の写真よりさらに50mほど走り続けてもこんな感じ

最終日は3時間以上入ってたかな。思った通り潮が引くとサイズも落ちる感じだった。最後に写真も撮ってもらって満足(^o^)

たった3日しか波乗りしなかったけど、終わりよければすべてよしといった満足感だった。

3月26日 朝一から友人に空港まで送ってもらい、あっという間に福岡まで帰ってしまった。福岡空港はなんと国際線しか手荷物預かりをしていない。翌日の朝一国内便に乗るためには国際線で板を預けるわけにも行かず、ジャンボタクシーを頼もうとタクシー会社に電話するとあれこれ言われた上に、最後には「サーフボードは乗せていません」と断られた。福岡の問題点である。宅配便ですら、「うちでは預かっておりません」といわれたが、親切な係員さんがアロー便に掛け合っておきますと請け負ってくれた。しかし、着払いで13000円だと後日言われた・・・・成田から5000円で来るのにひどい話である。文句も言えず腹立たしい思いだった。それ以外はスムーズに事が進み9時前には中州に到着。一日中何か食べているので、せっかくの博多屋台もたくさんは食べれないのであった。

3月27日 乱気流に翻弄されて命からがら辿り着いた奄美は不安定な風に膝波が割れていた。曇り空に妙にエメラルドブルーの海の色がきわだっていた。

久しぶりのサーフトリップ、わずかな時間しか波乗りしなかったけど内容は濃かった。
すべてにおいて友人のアシストなければ成り立たない旅だった。本当に感謝している。
3度目のフィジーは自らの波乗り人生のノスタルジアとも言うべき記憶を呼び戻した。
以前よりは乗れたので、少しは成長しているのだろう。
これからも壊れやすい体を上手に使って波乗りを楽しんでいきたい。

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